横
阿佐ヶ谷駅に向かう朝の道路で、腕を左右に振っている男がいた。肩から先が胴の前を横切り、反対の腰の前で止まって、また戻る。歩幅は普通より広い。遅れてはいない。前には進んでいる。腕だけが進行方向と関係のないところを往復していた。
欽ちゃん、と呼んだ。呼んだのはこちら側で、男はその名を持っていない。萩本欽一の動きが本人の名を離れ、知らない男の背中に貼りついている。動きが先に固有名詞になり、持ち主だけが入れ替わった。
清人は高校の同級生で、一年の時に前後の席だったから、当時の喋り方のまま止まっている。会えば一時間で終わる話が、電話だと二時間でも終わらない。声を録って置いてみようか、という案が出た。前に進む用事は一つもない。
用事がないから腕は横に振れる。小道を出てから駅までの三十メートル、覚えているのは男のぶらんとした腕で、振幅は大きかった。
歩きながら自分の腕を見た。前後だった。つまらなかった。